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【悲しいだけではない】祖母のお葬式では親戚一同集まり、昔話に花が咲く

4月27日、大好きだった父方の祖母が亡くなりました。

つい1年前までは「ご飯が美味しくて困る。まだあっちの世界(天国)へは行けない」と冗談を言っていました。

わたしによく似ているという4人目・次女をたいそう気に入っていて、写真を送るととても喜んでくれたそうです。

コロナを挟んで5年ほど会えないまま、祖母は天国へ旅立ちました。

今年の夏は会いに行こうと思っていたのに。こんなことなら去年会いに行っていれば良かった…。

去年の夏は、4人のこどもを連れて施設を訪れるのはまだ気が引ける時期でした。祖母が元気だったことでつい安心してしまったのです。

後悔しても遅いのですが、そんなことばかり考えてしまいます。

大事な人がある日突然いなくなってしまうかもしれません。そうなった時にわたしは後悔しない?

祖母が亡くなってから、改めて痛感しました。

寝る前にこどもを怒って、そのまま寝てしまったり。ちょっと不機嫌で、朝のお見送りをちゃんとしなかったり。

日々の忙しさから、「こどもを大切に想う時間」を大事にできないことに気づきます。

祖母の葬儀のため、わたしは夫にこども4人を託して北海道へ飛びました。出産以外でこどもたちと離れるのは初めてです。

そして、4人目・次女はこのタイミングで卒乳となりました。

27日に亡くなって、28日にすぐ北海道へ。心の準備などもできぬまま、4日間離れ離れです。

毎日LINEのビデオ通話をつなぎ話しましたが、こどもたちは日々涙…次男は、「ママ、かえっといで」を繰り返すだけです。

本当にわたしは大切に想われていたんだなと胸があつくなりました。

祖母の葬儀では、遠方からたくさんの親戚が集まり、昔話に花が咲きました。祖父が15年前に亡くなっているのですが、いとこに会ったのはその時以来でした。

また、父は3兄弟なのですが、この3兄弟が集まるのも祖父のお葬式以来だと思います。

悲しいけれど、「何か」がないと、なかなか親戚って集まらないんですよね。

しかし、悲しいながらも久々に親戚が一同に集まったことで、楽しい話がたくさん生まれます。

父方の実家は、酪農を営んでいました。海沿いの街なので、漁師の親戚もたくさんいます。

今のわたしたちの生活とは全く異なる話を聞くのは楽しいものです。

父方の実家にはよく人が集まる習慣がありました。

遠方の親戚も「小さい頃に下宿させてもらった」とか「あの時食べた手作りのバターが忘れられない」と口々に話していました。

確かに明るくて話好きの祖母の周りには、いつも人がいました。それをにこにこしながら静かに聴いていた祖父の姿も目に浮かびます。

葬儀とは思えないほど、楽しいひとときを過ごしました。話好きの祖母もきっと楽しい時間を過ごせたのではないかと感じます。

親戚の集まりって、わたしは昔から苦手でした。今も進んで参加することはなく、自然と親戚とは疎遠になっています。

小学校の役員会や懇談会などもあまり好きではないです。とにかく大勢で集まって何かをするのが苦手で、面倒だと感じてしまいます。

しかし、祖母の葬儀では遠方の親戚やご近所の酪農仲間、農協の関係者の方々など多くの方が祖母との別れを惜しんでいました。

「横のつながり」というものが見えたような気がします。

そして、横のつながりは温かいものだなとも感じました。

損得ではなく、分け隔てなく優しかった祖父母。昔から誰かが困っていれば「うちで飯を食っていけ」と言い、商売道具である牛乳を無償で小学校などに提供したと聞きます。

次々出てくる昔話を通じて、改めて知った祖父母のこと。わたしには到底真似できないことばかりです。

離れている間、毎日ママを想って泣いていたこどもたち。

祖父母のように万人へ優しくできなくとも、この4人の大切な宝物であるこどもたちと、わたしを快く送り出してくれた夫へは、常に慈愛の心を持って接していきたいと感じました。

この15年間の話を祖父にしているであろう祖母を想像するだけで、なんだかとっても幸せな気持ちになります。

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