先日我が家の4人目・次女が1歳になりました。4人目ともなると成長が早すぎて淋しい。
1人目や2人目は早く大きくなってほしい。周りの子と比べて遅れていることがあると心配で、早く成長してほしいと願っていました。
特に1人目である長女は、離乳食が進まず…色々手を尽くしてもほとんど食べてくれず。当時そこまで料理が得意ではなかったので、「わたしの料理じゃダメなのかも」と凹んでいました。
市販のヨーグルトだけはよく食べたので、そればかりあげていたら保健師さんに「よく食べるからと言ってヨーグルトばかりあげるのはダメよ」と言われ、また涙…
もちろん保健師さんの話にはその前後がありますし、良かれと思っての発言なのも今では理解できます。ですが、当時はひどく悲しかったのを覚えています。
早く大きくなぁれ。早くなんでも食べられるようになぁれ。早くひとりで寝られるようになぁれ。
ずっと「早く」「早く」ばかり考えて過ごしていたように思います。
しかし、3人目くらいからは大きくならないでほしいと感じることが増えていきました笑。
成長はとても喜ばしいことで、できることが増えていくのは嬉しいのですが、心の奥でちょっと淋しいのです。もうこんな姿を見ることはないんだなと。
手を発見して、興味津々で見つめている姿
寝返りしたものの、腕がぬけずに泣いている姿
初めてよたよた歩いた姿
どれも目に焼き付いていて嬉しい成長なのですが、次には「もうこの姿を見ることはないんだな」と思ってしまうんですよね。喜ばしいことなのに淋しいと感じてしまうことも自体も淋しい笑
子育てをしていると「できたこと」ってとてもよく覚えています。しかし、「最後の日」って意外と覚えていないものが多くないですか?
例えば、ミルクや母乳をやめた日、おむつが外れた日などは覚えている方が多いと思います。わたしは完母だったのですが、卒乳の日や断乳の日は、過去3人とも鮮明に覚えています。
でも、新生児おむつ最後の日や、ずりばい最後の日、つぶしてご飯をあげていた最後の日。
「気づけばずりばいをしなくなっていた」
「普通のご飯が食べられるようになってたね」
毎日一緒で、毎日見ていたはずなのに、最後の日ってあまり意識していないことがわかります。
わたしにとっては、最後の0歳児の子育てです。最後の日を目に焼き付けておこうと思っても日々の忙しさに埋もれてしまうものも多いです。
できる範囲で「最後の日」をお祝いしたい!
ということで、4人目・次女は「1歳のバースデー」ではなく「0歳最後の日」とお祝いしました。まぁ、前日にお祝いしただけなんですけどね笑
次女は体が小さいながらも食が太く、なんでも食べる子。本当はまだ早いものもあるかもしれませんが、基本的にはわたしたち家族と同じものを食べています。
そのため次女に特別に作った料理ではありませんが、パーティーメニューを用意してお祝いしました。ケーキはホットケーキとフルーチェでおしゃれなカップケーキを用意。
透明なカップを百均で買ってきて、詰めるだけだけど映える!
子育てを始めた頃と比べて、わたしも上手に手抜きができるようになってきました。
この映えるカップケーキは、こどもたちが大喜びしてくれました。ちょっと小さいかなと思ったけれど、たらふくごはんを食べたあとにはちょうど良い大きさでした。
最近は料理が好きで、こういう時には大きなショートケーキを作ることが多かったのですが、お腹いっぱいだと全然食べられません。
家族もお腹いっぱいだろうに「せっかくママが作ってくれたから」と一生懸命食べてくれて、ちょっと申し訳なく感じていました。小さめケーキにして正解。
無事に0歳最後の日のお祝いが終了しました。成長は嬉しいけど、淋しい。ママ心は複雑なのです。
ちなみに、「0」のろうそくを用意し忘れて、ケーキの上に乗ったのは「1」のろうそくなのも良き想い出です笑